主要経歴までの略歴
1974年 名古屋大学医学部卒業。名古屋掖済会病院勤務。
1979年 沖縄県立名護病院勤務。
1981年 糸数産婦人科病院勤務。
1984年 那覇高等学校衛生看護科講師。
1985年 運天産婦人科医院開設(現在に至る)、
1993年 北部地区医師会北部看護学校母性看護学講師。
取組を始めようと思ったきっかけは何ですか?
40年間の長期にわたり北部地区は離島、僻地をかかえハイリスク妊娠、出産例が多く未熟児の出生率が高い地域でした。加えて産婦人科医師不足で中核病院の産婦人科が2度にわたり休止になりました。私の出身地でもあり、医師一人で悪銭苦闘して頑張ってきました。
取組をどのように展開しましたか?
迅速な母体搬送と現場での未熟児出生率を下げる為、高次病院と密に連携し、瞬時に対応できるよう搬送マニュアルを構築しました。その結果、幸い、当院では母体死亡は無く、地域の安全な周産期医療が展開できたと自負しています。
今後の展望を教えてください
学生時代から産婦人科、内科、小児科を志望していました。4年前に分娩管理は終了したため、現在は婦人科・内科・小児科を標榜しています。当院で出生した小児、出産・育児を終了したかつての妊産婦の方々を気を引き締めながら診療しており、これからも継続していきたい所存です。